うたの旅人~世界に一つだけの花

2003年に発売。作詞作曲は槇原敬之さん。アイドルグループSMAPの歌唱。これまでの売り上げは275万枚。幼稚園児でも振りつけ付きで歌えるほどゼロ年代を代表する大ヒットとなった。

「でも、この歌には好き嫌いがあるのも知っています」(槇原敬之さん)
一つのきっかけは発売直後TBSの報道番組「NEWS23]でSMAPと対談した筑紫さんが「これは反戦歌だ」と話したことらしい。発売の前にはイラク戦争が始まっていた。「一人一人のかけがえのなさ」を歌う詞は命の重みや平和の大切さに重ね合わせられメッセージソングと受け取られた。
歌詞の賛否も分かれた。〔自信を無くし競争に疲れた我々を慰めてくれる」といった好意的な見方の一方で「花屋の店頭こそ競争の最前線」「非現実的」「個性偏重」などの見方もあった。
槇原さん自身に歌詞の意味を聴いた。
「自分に植えられている種を真剣に見つめて、きちんと水をやろう。そうすれば相手にもその種があることに気づくはず。戦う相手は他人でなく自分自身だ」

「僕は人間はすべて死ぬんだと知った時から、怖いものは亡くなった」
「一度地に落ちたと思われた人間ですからね」槇原さんが今ここにいるのは、そしてこの歌が生まれたのはあの「事件」があったからだ。
1999年夏、覚醒剤取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕。12月に懲役1年6カ月執行猶予3年、の有罪判決を受けた。すべての彼のCDは回収・販売中止。予定していた全国ツアーはキャンセルとなり、のしかかった借金は7億円。

事件のことを正当化するつもりは毛頭ない。ただ「あれが自分に大事なことを気付かせてくれたんです。」
21歳でデビュー。3枚目のシングル「どんなときも」の大ヒットで第一線に躍り出た。「『このままならもうやることないや』という自分の傲慢さが事件を引き寄せたんだろう」と今は思う。

事件後、拘置所の中、「槇原さん。なんでこんなとこにいるの」4人部屋で同年輩のヤクザの青年が声をかけてきた。
「若くして成功した槇原さんはどうせおれたちの気持ちなんて分かんない」と言われた。ショックだった。
「偉そうに言っても全然役になんか立ててなかった。思い知らされた。」しかし消灯の9時過ぎまでいろいろ話した後。小声でつぶやいた彼の言葉をずっと忘れられない。
「俺らと同じだってわかった。俺、これからも槇原さんの歌聴くよ。」

仏教と出会ったのもこのころからだった。釈放後、寄る辺なく座った山梨県身延町の日蓮宗総本山身延山久遠寺。渦中の人物が現れ、寺は大騒ぎになるが、それでも僧侶は静かにお経を唱え「芸能ヒット祈願」と書いたお札をそっと渡してくれた。
槇原さんたちにとってはそれは「大海に浮かぶ小さないかだ」のような存在だった。

「どうしようもない僕に、ちゃんと人間として接してくれた人たちがいた。彼らのように他者に寄り添う歌を僕らは届けなくちゃいけない」と思った。「探し求めていた答えは自分の心の中にあったんです。
「世界に・・・」は事件から3年かけていきついた一つの答えだった。
(以上朝日新聞の記事より抜粋)

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槇原さんの転機はこの歌だったし、またアイドルに歌われたということもあったのか。大ヒットし、音楽番組への露出も再び多くなった。あのことがきっかけとなって、意味合いの深い歌になったとすればいいことなのでは。
でもいろいろな意味合いを持つこの歌の存在は今後も続き続けるのだろうか・・・それとも・・・。

個人的には、アイドルへの提供曲ということが一定の意味合いを持ってしまうわけで、そしてこの歌の平易さが無論ヒットの原因になっているんだけども、歌のある意味の軽さを意味してしまっているのではという気もする。でもいい歌であることは確か・・。
うっかりすると教科書にも載ることになるのだろうか。

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