BS朝日「うたの旅人~テネシーワルツ」を見る
うたの旅人~ヒット曲の生まれた背景と、その歌にちなんだ風景をめぐる番組。 朝日新聞土曜版とのコラボ BS朝日で見る 江利チエミさん;1982年(昭和57年)死去(45歳だった)
~テネシーワルツ~ 1952年(昭和27年)SPレコードの時代に40万枚を売り上げたという。 ラジオを聴くようになった子供のころ、すでにチエミさんはスターで、テネシーワルツは彼女の最大のヒット曲であり持ち歌だった。紅白にもいつも出場していた記憶です。 TVドラマでも「サザエさん」(実写版)に出演していました。 たぶんドラマはほとんど見ていないと思うのですが(父親がNHK派でしたので見せてもらえなかったと思う)
江利チエミさん、スターであり、タレントでもあったと思う。 テネシーワルツは15歳の時のレコーディングをしたそうです。 歌の中盤からの日本語歌詞は当時のディレクターの作詞だそうで、 この時代では完全に英語で歌うのはちょっとうけないだろうということなのかな。 でも当時、蓄音機もあまり普及していない時代なのに40万枚とはすごい。 そして、チエミさん歌謡曲が強い時代にほぼ一貫して、ポップスを歌われるのです。 そして日本で初めての本格的なミュージカルと言っていい「マイ・フェア・レディ」に出演されます。そしてポップス歌手なのに、着物姿で「さのさ」を歌ったりして、 まさにエンターテイナーですね。 私生活では、家族の早世や身内の詐欺にあっての借金問題、その結果としてらしい高倉健さんとの離婚など不幸が続きます。 借金完済のためのハードな歌手活動が続きます。番組では借金を完済した後の30周年記念パーティーの模様が放映されます。 プライベートな撮影なのか画面は少々荒いんですが。 チエミさんの巧みな司会ぶり。最後はテネシーワルツからのヒット曲のメドレー。 この後しばらくしてから、急死されてしまいます。 借金を完済し、これから自由に歌えるのにという矢先でした。 残念です。 もう亡くなってから30年近くになるのか。時の流れは早いですね・・。 日本映画「鉄道員(ぽっぽや)」で冒頭テネシーワルツの口笛が流れるらしいのですが、その歌を使うのを提案したのは高倉健さんだったとか。健さんの気持ちは知る由もありませんが、その後健さんは独身のまま・・。どうなんだろうか。
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