朝日新聞~うたの旅人=はかなき運命のホテル

HOTEL PACIFIC

そしてブレッド&バターのこと

朝日新聞~うたの旅人=「HOTEL PACIFIC」

1955年夏、池端直亮(加山雄三)は茅ヶ崎の実家のそばの海岸でおそらく日本初のボディボードをしていた。そして10年後いわゆる映画、若大将シリーズでスターにのし上がっていく。その加山さんの若いころの姿を当時子供だったブレッド&バターの岩沢幸矢さんが見ていたという。

幸矢さん。「そのあたりの海は深くて誰も泳いでいなかったのにどんなに波が荒くても加山さんはさっとひと泳ぎして帰っいくのが、かっこよかった」

幸矢さんが音楽に病みつきになったのも、上原謙(加山雄三氏の父、往年の映画スター)邸の屋敷のそばを歩くたび、そこから聞こえてくるギターの音に聴き惚れていたという。

 

後に、幸矢さんは弟の二弓さんとフォークデュオのバンド「ブレッド&バター」を結成しデビューする。

 

1965年、茅ヶ崎に大きなリゾートホテル「パシフィックホテル茅ヶ崎」がオープンする。
海岸の国道沿いで当時といては珍しい11階建て。芸能人が必ずプールサイドに寝そべっていたという。当時大学生だった幸矢さんはそこでアルバイトをしていたが、あこがれが高じて一時はホテルマンを志望していたそうだ。

 

パシフィックホテル茅ヶ崎は同時にボーリング場と、ドライブインを併設していて、全体が「パーク」と呼ばれていたのですが、あのサザンオースターズ桑田佳祐さんのお父さんもホテル内のマージャンとビリアードの店を経営していたという。桑田自身さんもボウリング場でアルバイトをしていたことがあるそうだ。

 

この「パーク」の経営者は加山さんの叔父さんだったそうですが、開業から8年目の1970年、叔父さんの経営するリゾート会社の経営が破たんする。名ばかりの経営陣に名前を連ねていた加山雄三さんにも大きな負債がのしかかることになってしまいます。

 

「パーク」の倒産後、抵当に入っていた叔父さんの大きな屋敷をを叔父さんの娘さんが一時管理していたのですが、娘さんはそこへ69年にデビューしていた岩沢兄弟や彼らの音楽仲間を呼び寄せて共同生活を始めたそうです。75年に岩沢兄弟は屋敷の車庫を改造し、カフェをオープンします。(その期間は芸能活動を一時中止したとか)かつてのパークのように・・。

しかし79年に叔父さんの屋敷、岩倉邸は借金の支払いのためついに明け渡しになり、さまざまな人手に渡って現在は高級マンションが建てられているとか。

(以上朝日新聞の記事を要約しました)

 

フォークの達人「ブレッド&バター」を見る

録画してあった(VTR)NHKBS2 フォークの達人「ブレッド&バター」を見る。

ブレッド&バター(岩沢幸矢、岩沢二弓)、司会;山口智充(ぐっさん)

1.あの頃のまま

2.マリエ

3.ホテル・パシフィック

ぐっさんとのトーク、;幸矢さんはホテルマンで就職予定で、研修のためアメリカへ、。そこでアメリカのミュージシャンたちと知り合い、就職をやめて歌の道へ。

二弓さんは幸矢さんの影響ですでにバンドを組んでいたが、幸矢さんもそこへ加わることに。そしてプロディーサーと知り合い、プロへ・・・。

4.マンディ・モーニング

ゲスト;南佳孝

※南佳孝さんとのセッション。

5.ドゥー・ユー・ワナ・ダンス

6.ルート66

南佳孝さん、76年11月に茅ヶ崎に引っ越す。

そこでブレッド&バターが知人宅のガレージを使って店(レストランパブ)を開店していたのですが。(歌手活動は休止中だった)
佳孝さんはそこの常連になった。店のピアノを弾いたりしていた。
そこには有名ミュージシャンがいっぱい来ていたそうだ。

佳孝さんが音楽のアイディアをいろいろくれたことが、音楽活動の参考になったそうだ。

そしてユーミンさんから「あの頃のまま」をプレゼントされ、再デビューとなった。

7.リメンバー・マイ・ラブ(スティービーワンダー)

ゲスト;堂島孝平

8.ピンク・シャドウ

(ギターソロ;鈴木茂)

9.湘南ガール

トークゲスト麻田浩

10.南の風

11.渚へ行こう

12.素晴らしき男の世界

13、ファイン・ライン

ギター;鈴木茂

14.愛したい、信じたい

 

 トップページに戻る

inserted by FC2 system