朝日新聞~うたの旅人

あがた森魚=赤色エレジー

 

朝日新聞~うたの旅人 あがた森魚=赤色エレジー

北海道留萌市生まれのあがた森魚氏。函館ラ・サール高校時代にボブディランに心酔し、同時に漫画雑誌「ガロ」も読み始めた、進学した明治大学では大学紛争に嫌気がさし2年で中退。証券会社のアルバイトをしながら作詞作曲を始めたという。

おがたさんはこのデビュー曲を1夜で書き上げたという。イラストレーターの林静一さんの「赤色エレジー」に影響されて曲想が出来上がったという。

林静一さんの「赤色エレジー」は、今(2010年8月)、NHK朝ドラ、「ゲゲゲの女房」で出てきますあの水木しげる氏も連載していた「月刊漫画ガロ」に連載されていた。その頃の東京を舞台にみすぼらしいアパートに布団一つで同棲する男女の華美な夢想とうっとうしい幻滅、不条理な破局を叙情詩のようなタッチで描いた物語。

あがたさんはそのやるせない物語になんとしても主題歌を捧げたいと願ったからだった。

青林堂の漫画雑誌「ガロ」はそもそも白土三平さんのライフワークとなる大長編劇画「カムイ伝」を連載するための媒体だった。そして水木しげるさんやつげ義春さんの作品を載せて超俗漫画雑誌の趣を漂わせていた。

当時、ガロの出版社だった青林堂は神田にあり、明大、日大、移転前の中央大などがあり、大学紛争の最中、全共闘の闘士たちが編集部に入り浸っていたという。彼らの大半は新左翼系の学生紛争にのめり込んだはずだが暗黙の禁忌になっていたかのように政治闘争の議論を切りだそうとしなかったという。かりそめの安息がそこにはあったようだ。

カムイ伝の連載が途絶えた後は、三人の漫画家が台頭した。鈴木翁二、安部慎一、古川益三とともにガロ三羽烏といわれた。

ガロはその後編集者の長井勝一さんの死去など諸般の事情により、青林堂はなくなり廃刊となります。青林堂、一時期の再建もありましたが。現在は「ガロ」は事実上廃刊となっています。

あがたさん。「あの歌でデビューしたのは冠であり、お荷物でもあった、そこから違う場所へ逃げ出して新たな一歩を踏み出すことがずっと僕の使命だったんだよね。」

(朝日新聞~うたの旅人 あがた森魚「赤色エレジー」の記事を参考にしました)

 

拙ブログ おじさんの好きなFork&Jazzより

ちょっと残念だったNHK朝ドラ「ウェルかめ」なんですが、後半大学教授役であがた森魚さんが出演されています、

1970年ごろイラストレーター林静一氏が漫画雑誌「ガロ」に連載された劇画が「赤色エレジー」だった。

北海道生まれのあがた森魚氏、上京して大学に通っていましたが、当時盛んだった大学紛争に失望し、大学を中退してアルバイト生活を始めます。ボブディランが好きだった森魚氏は作詞作曲をはじめます。

そして71年に第3回全日本フォークジャンボリーに鈴木慶一氏ひきいる「はちみつぱい」をバックとして「赤色エレジー」を歌います。そしてキングレコードと契約することとなりこの曲はシングル盤として発売されヒットします。(詞;あがた森魚、作曲;八洲秀章)

 

林静一さんの劇画は若い男女の同棲生活を描いた作品ですが、当時上村一夫氏の劇画「同棲時代」も一般的には人気を得た作品で、同棲という言葉もこの作品で一般的となったような感じです。

 

でも私どもはマイナーな漫画雑誌「ガロ」で掲載された「赤色エレジー」によりシンパシーを感じたんです。

そしてこのあがた森魚氏のいささか陰鬱な歌い方にもひかれたんですね。あがたさんはその後趣味的な大正ロマン、あるいは昭和初期の香りに満ちたアルバム「乙女の儚夢(ロマン)」を作ります。

 

1. 乙女の儚夢(ろまん)

2. 春の調べ

3. 薔薇瑠璃学園

4. 雨傘

5. 女の友情

6. 大道芸人

7. 曲馬団小屋

8. 電気ブラン

9. 秋の調べ

10. 赤色エレジー

11. 君はハートのクイーンだよ

12. 冬のサナトリウム

13. 清怨夜曲

 

トップページに戻る 

inserted by FC2 system