うたの旅人(東京音頭)

ここではヤクルトスワローズの応援歌としての東京音頭、そしてかつての応援団長、岡田正泰さんについて。
野球帽をかぶり、黒ぶちの眼鏡をずり下げながら熱く応援する姿は神宮球場の風物詩だった。
ビニール傘を揺らしながら東京音頭を合唱する独特の応援スタイルを築いたのは岡田さんだそうだ。
本業は看板職人でプラカードを作るのはお手の物だった。

野球ファンでなかった岡田さんがたった一人で応援を始めたのはヤクルトが国鉄時代の1952年から。奥さんと結婚前にたまたま入手したチケットでスワローズ・巨人戦を見たのがきっかけだった。
巨人側の観客席は大勢のファンで盛り上がっているのに、岡田さんらが座ったスワローズ側はガラガラ。そんな様子を見て、岡田さんは奥さんの千鶴子さんを残したまま最前列に降りて行った。
「なぜって、わかりません、あの人のことだからたぶん判官びいきの気持ちがあったんでしょう」と千鶴子さんは言う。
ヤクルトは78年10月に初優勝する、テレビには号泣する岡田さんの顔が大きく映し出された。

岡田さんは2002年ヤクルトの北海道遠征に帯同し、帰京した後、急死した。(享年70歳)。
あれから10年ースタンドに親父(岡田さん)の姿は消えたが東京音頭の合唱は今でも球場に響いている(一部朝日新聞の記事より抜粋しました)

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岡田さんの存在はスポーツニュースでよく拝見しました。いしいひさいちさんの野球漫画でも頻繁に登場します。
ヤクルトファンではありませんが、・・・一時期は最下位を低迷したこともあるヤクルトなんです。強くなったのは応援のおかけでしょうか。まあ広岡さんや、野村さんのおかげでしょうけど・・。

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