クラシックコンサートゴーアーズの記憶
クラシックコンサートに最初出かけたのは大学時代のころかな、
以降90年代初めぐらいまでは出かけてましたが、、
その後仕事の関係で平日には出かけられず、、
好みの変化もあり、このところはご無沙汰になっております。
ここでは過去の記憶を基に書くだけですので、正確性は不足しています。ご了承ください。
このほかにも多数出かけておるはずですが、
あいにく記憶が正確ではなく掲載しておりません。
年月 | 演奏者・団体 | 主な演奏曲 | 会場 | 感想 |
1970年以前 | 安川加寿子(P) | ショパン? | 愛知文化講堂 | 個人的に出かけたのはこれが初めてかな。 愛知文化講堂は、現オアシス21の場所にあった、 愛知文化会館の中のホールのことなんですが、 今で言えは中ホールの規模かな。音響はややデッドで物足りなかったかな。 でも当時はクラシック演奏会を開ける音楽ホールは少なかったので満足していました。 |
1970年か71年 | レナードバーンスタイン指揮 ニューヨークフィル |
ショスタコービッチ交響曲第5番他 | 愛知文化講堂 | このころからCBCの招聘で海外の有名オーケストラや歌劇団がやってきました。この年はシーズン席を購入して見た思うのですが。 バーンスタインのショスタコービッチ、例によって共感が強く飽きない展開で全曲を一気呵成に過ぎました。音が大きいのも驚きました。 |
1970年か71年 | ヤンソンス指揮 レニングラードフィル |
ショスタコービッチ交響曲第5番他 | 愛知文化講堂 | たしかムラヴィンスキーが来日するはずだったが体調不良でキャンセルだったのかな。ロシアのオケの入場が軍隊式に列を整えて入ってくるのに驚きました。 |
1970年か71年 | ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団 |
交響曲第2番 | 愛知文化講堂 | 管楽器が山台を使わないのは会場の音響を考慮なのか、金管が暗いシベリウスなのに明るい音を出していることに驚いた。 |
1975年6月4日 | エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル | モーツァルト交響曲第39番 チャイコフスキー交響曲第5番 |
名古屋市民会館 | ついにムラヴィンスキーを聞きました。この人は飛行機嫌いで船でロシアからやってきますので、本当にこの地に来るまでは信じられなかったです。レコードの通り速いテンポで風のように流れる音楽。聞けてよかったです。(オケ配置は旧式) |
1972年 | ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団 | 不明 | 愛知文化講堂 | 詳細は記憶なし。クリーブランドと記憶が混濁してるのかもしれません。 |
1970年代初め | ハンス・ホッター | シューベルト歌曲集「冬の旅」 | 愛知文化講堂 | これは感動しました。豊かな声量。深い声。「冬の旅」には誠にぴったりです。 |
1970年代初め? | ディートリッヒ・フィッシャーディスカウ | たぶんシューマン「詩人の恋」 | 愛知文化講堂 | 思っていたよりは年をとっていたような。後は記憶になくて。 |
70年代〜80年代 | 名古屋フィル定期公演 | 名古屋市民会館&愛知県芸術劇場コンサートホール | 一時期は会員でしたので、定期公演は聞いていました。年末の第9は現在に至るまでほぼ聞いております。 | |
以下は詳細不明ですが記憶がある演奏家の方々です。これ以外にも多数出かけているのですが。いずれも最近ではありませんので、記憶が定かではありません。恐縮です。 | ||||
70年代初め | イングリットヘブラー(P) | たぶんモーツァルト | 愛知文化講堂 | ピアノはヤマハらしい。スタインウェイを使わないのは単色の音色がおすきなのか?? |
70年代初め | スヴャトスラフ・リヒテル(P) | たぶんロシア物 | 愛知文化講堂だったと思う | 当時は情報が極端に少なく神格化されていた。現実に見たのは風采の上がらないおじさん。ちょっと冷たい演奏だったような? |
70年代初め | 堤剛(VC) | バッハ「無伴奏チェロ組曲」全曲 | 愛知文化講堂 | 2夜に渡って聞きました。労音主催だった。抜群のテクニック。音量も豊か。 |
70年代 | ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮NHK交響楽団 | たぶんベートーヴェン交響曲第2番アンコールはウェーバー歌劇「魔弾の射手」序曲 | 愛知文化講堂 | NHK交響楽団地方公演で聞きました。マタチッチは名誉指揮者になったばかりと思われます。マタチッチを聞くことが出来たのは幸運でした。迫力を感じることが出来ました。 |
70年代半ば? | ウラディミール・アシュケナージ(P) | ? | 名古屋市民会館 | こっそりとカセットに録音しているおばさんがいたらしく、巻き戻しの音でアシュケナージが気がつき演奏をやめて引っ込んでしまった。場内アナウンスで事情説明がされおばさんは外に出た。アシュケナージは何事もなく戻ってきて演奏を再開した。翌日新聞にも載りました。ちなみにアシュケナージはタキシードが嫌いで私服っぽいジャケットを着ていました。 ん、演奏、記憶にないなー。 |
90年代ごろ? | スタニスラフ・ブーニン(P) | ?(ショパンなどかな) | 愛知県芸術劇場コンサートホール | 舞台側の席で聞きましたが、ピアノの反響版は前に音が行くようになっているのでここでよかったのかなー。でもブーニンさんはすぐそばで見られたのでよかった。ちなみに皇室の方も見えましたよ。 |