管理人の「おじさんの好きなFork&Jazzブログ」より再録

フォークの旅路(東京編)

(フォークの旅路について)

現在、団塊世代を中心に盛り上がりを見せる日本のフォークソングは、どのように生まれ、
どのように発展したのか――? 
日本各地に発生した「フォーク文化」にスポットを当て、毎回、フォークと関係の深い土地
・印象的な場所を訪れます。
ミュージシャンはもちろん、当時を知る関係者のインタビューなどは、懐かしさを感じさせると
同時に新たな発見も生むことでしょう。
また、音楽だけでなく、訪れる土地の名物料理や郷土料理、名所旧跡など、
さまざまな文化も紹介していきます。
(以上歌謡ポップスチャンネル公式HPより)

以下ブログ再録分です。(一部加筆修正)

CS歌謡ポップスチャンネル「フォークの旅路」を見る。

(前編)

MC;なぎらけんいち、森山愛子(民謡歌手)

今回は、武蔵野市吉祥寺。ゲストはシバ。シバさんが若林純夫氏や、高田渡さんと出会ったエピソードを紹介する。
一行は、
吉祥寺 井の頭公園でシバさんと待ち合わせ。

1969年ごろシバさんが学生時代、井の頭公園で藤田真澄さんや若林純夫さんと出会う
(二人はその後武蔵野タンポポ団でともに活動する)

この出逢いがシバさんを音楽活動に引き込むことになる。

フォークの旅路一行は吉祥寺にボブディランの新譜をかけているジャズ喫茶店(タムタム)を探す。

喫茶タムタム跡地へ・・・今は某住宅になっている。

過去の話;出逢いの後シバさんは若林さんにフォークシンガーとして有名になっていた高田渡さんの居場所を聞き、
京都まで会いに行く。

ヒッチハイクで京都に来たシバさん。下ろされた場所で、たまたま以前にシバさんのライブを聞いていた女の子から
高田渡さんの所在を聞く。

そして喫茶店の六曜社へ・・・高田渡さんと出会う。

その後、当時仕事のないシバさんは後述する「ぐわらん堂」の手伝いをすることになる。

 

そしてフォークの旅路一行は当時のフォークシンガーのたまり場、ライブハウス「ぐゎらん堂」跡地へ。

ここで伝説の「武蔵野タンポポ団」が結成される。

タンポポ団の結成の言いだしっぺは高田渡氏。中津川フォークジャンボリーのためのセッションバンドのようなもの。
バンド名は当時シバさんが書いていたマンガのキャラクターから・・。

当時シバさんが貧乏でたんぽぽをよく食べていたので・・というのは違うらしい。

当然シバさんも参加することになります。グループは2枚のアルバムを出します。


「武蔵野タンポポ団の伝説」1972年1月リリース。

1971年の第3回中津川フォークジャンボリーでのライブです。

もうとにかく、内容はぐだぐだっぽくて、でも音楽は適当じゃないんだけどね。

その後、各所でのライブの後タンポポ団は、渡さんの解散しようという一言で終了してしまいます。

タンポポ団の最後のステージは大阪の春一番だったそうです。

そして一行三人は現在も営業中のライブハウス「曼荼羅」へ・・。

ここでのシバさんの歌は渡さんのカバー「夜風のブルース」。

渡さんのアルバムとは違い(アルバムはたぶん細野さんのアレンジ)、なぎらさんとのギターデュオ。
いつものシバさんのかん高い歌声が物悲しい。

そしてシバさんの素晴らしいブルースハープ。いいな。(吉祥寺;ライブハウス「曼荼羅」)

製作:IMAGICA.TV

※シバ;フォークシンガー、ブルースハープ奏者、漫画家(一時期永島慎二氏に師事、アシスタントを経験)

※若林純夫;武蔵野タンポポ団の解散後は山本コータロー氏と「少年探偵団」を結成。

「少年探偵団」の解散後若林さんは音楽活動を中止。残念ながら2006年に逝去されました。




高田渡;系図、「夜風のブルース」収録

(後編)

引き続き曼荼羅ライブ

1)もしも(シバ)

こちらは収録アルバム;青い空の日

シバさんの名曲。素朴。シバさんらしい。
吉祥寺ライブハウス;曼荼羅にて(シバ&なぎら健壱)

(旅)今回は、前回のURCレコードに対抗する形で生まれたエレックレコード跡地へ。

二人はエレックレコードの痕跡を尋ねて四谷へ、門谷憲二氏が同行。
(門谷憲二~作詞家&当時のエレックレコードスタッフ)。

エレックレコード当時の在籍タレント(初期);土居まさる。よしだたくろう。

その後エレックは大きいビル(旧;日本天然色ビル)に移る。
この時さらに増えたミュージシャン;泉谷しげる、古井戸。海援隊、佐渡山豊etc。

そしてそこから程近い、1967年ごろからエレックレコードご用達の
「御苑スタジオ」へ(ここは現存します)。

御苑スタジオのテープを当時のエレックレコードのプルデューサー浅沼勇が聞いて、
良いものはレコード化した。


当時のスタッフ、伊藤明夫氏に話を聞く。

伊藤氏は広島フォーク村(当時の広島のフォークサークル、広島フォーク村の村長。
後によしだたくろうや泉谷しげるのマネージャーをすることになる。


番組打ち上げ・・・・エレックレコードの社員達がよく来た「梅寿司」へ。
フォークブームが去り。URCとエレックの業績が落ちてくるとURCレコードの販売を
エレックレコードが行うことになるのだが、
結局そのころ2社の人気シンガーや主要なスタッフは大手のレコード会社に
引き抜かれてしまうことになります。
そしてエレックレコードは倒産してしまいます。

ゲストの思い出話;
ベ平連(当時のベトナム戦争に対する反戦運動)のメンバーが中心となって新宿西口フォークゲリラとなる。
(新宿駅西口の広場でアマチュアの人たちが集まって反戦フォークを歌っていたが、それが事実上の集会となって多数の通行人を集めた。後に警察に規制され、歌えなくなったらしい)
そこでは岡林信康や高田渡の歌がよく歌われたが、
岡林さんらはフォークゲリラで自分の歌が歌われることに関しては反発していた。
政治的な活動に使われることを嫌っていたそうだ。

2)バイバイブルース(シバ) (曼荼羅にて、シバさんのソロ)
シバのブルースギター。絶妙のテクニック。すごい。

製作:IMAGICA.TV

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