フォークの旅路関西編

MC;なぎら健壱、森山愛子(民謡歌手)

ゲスト;大塚まさじ

フォークの旅路関西編(前編)

いつものように、ブルーの文字は過去の話です。

法善寺横町、水掛不動

でまさじさんと待ち合わせ。

難波へ、かつての大阪球場跡地から移動。

フォーク喫茶「ディラン」の跡地へ。

まさじさんはそこのマスターだった。

その当時のフォークシンガーや、フォーク好きの人たちのたまり場だった。

そして一行は近くの難波八坂神社へ、

当時ここの境内で
大塚まさじ、永井洋、西岡恭蔵
3人で結成したグループ「ザ・ディラン」が練習をしていた。

その後、恭蔵さんがアルバイトで腰を痛めて、故郷の伊勢へ帰郷。
それからレコード会社から話があり、
残った二人でシングル盤を出すことになる。

恭蔵さんは二人で活動していいよといい、まさじさんと永井さんは
「ディランⅡ」として「男らしいってわかるかい/プカプカ」を出すことになる。

こうして名曲「プカプカ」が世に出ることになる。

ディランⅡファーストアルバム「昨日の思い出に別れをつげるんだもの」

一行は写真家、糸川耀史さんのスタジオへ。

糸川さんは当時のディランⅡや春一番のコンサート風景を撮影。当時の懐かしい写真を見る。

 

 

糸川耀司さんの写真集(ディランⅡ)

ライブ:「プカプカ」大塚まさじ/なぎらけんいち

今回はいつも西岡恭蔵さんがこの歌を歌うときにつけていた語りをまさじさんが再現する。

 

フォークの旅路関西編(後編)

MC;なぎら健壱、森山愛子

ゲスト;大塚まさじ

通天閣展望台に登る。大阪の大規模なフォーク野外コンサート「
春一番」が行われた天王寺野外音楽堂があった天王寺動物園が見える。

通天閣南大通り、ジャンジャン横丁・・・大塚まさじ「天王寺思い出通り」の現場。

1971年から始まったフォークの一大イベント「春一番」の行われた天王寺野外音楽堂は80年に取り壊され、
現在は動物園のサルの檻がある。このことで「春一番」も一時中断。
「春一番」は1991年に場所を変えて復活し、毎年
GWに行われている。

 

大阪阿倍野へ、「THEロック食堂」へ。ここの経営者の石村洋子さんは、
かつての喫茶「ディラン」のママ。

大塚まさじさんと石村さんは喫茶店学校で知り合い、意気投合し、
喫茶店「ディラン」を開店する。

開店当時は普通の喫茶店だったが、やがてフォークシンガーや
フォーク好きの若者達が集まりだし、店の雰囲気が変わってゆく。

URCが出していたPR誌「フォークリポート」に広告を掲載していたことで
「ディラン」が有名になりフォークシンガーが集うようになる。

友部正人さんが最初にこの店に来たとき、2時間以上も座ったままで黙っていたそうで、
その後ようやくギターを取り出し歌いだしたそうです・・。その後店を手伝うことになります。

 

ライブハウス「ヒポポタバス」にて。、

「天王寺思い出通り」大塚まさじ



収録アルバム「遠い昔僕は」

※風景の画像はウイキペディアよりお借りしました。

フォークの旅路目次ページへ戻る

 

 

inserted by FC2 system