フォーククルセイダース

加藤和彦

 

 

アルバム「ハレンチ」

あのフォーク・クルセイダースそしてサディスティックミカバンドの加藤和彦氏が2009年10月17日亡くなったそうだ。管理人とは同い年です。どうも自殺らしい。滞在先のホテルで亡くなっているのが見つかったそうだ。 

高石友也氏、小室等氏などとともに、日本のフォーク界の草分けのような方です。 

<ザ・フォーククルセイダースについて>

 1965年夏、京都で医大生だった北山修さんは、雑誌「メンズクラブ」で、大学生の加藤和彦さんのフォークソングのバンドを作ろうという読者投稿記事を見て、同じ京都市在住の加藤さんの家にやって来ます。

そして、ザ・フォーククルセイダースの誕生となります。

最初のフォーククルセイダースは計5人のメンバーで作られたアマチュアバンドだったそうです。アマチュアバンドとして有名になった彼ら。しかし就職などの理由でバンドは2年ちょっとで解散することになる。自主制作で作られたザ・フォーククルセイダース解散記念アルバムがあの「ハレンチ」なのだが、「帰ってきたヨッパライ」はその収録曲だった。

アルバムは300枚作られたが、100枚しか売れなかった。北山修さんは残りを売りさばくために放送局を駆けずり回ったという。そしてあるプロディーサーにより帰ってきたヨッパライが放送にかけられることになる。そして「帰ってきたヨッパライ」は大人気となり番組へのリクエストが鳴り止まなくなる。

北山さんは東芝にアルバム「ハレンチ」の版権を売り、ザ・フォーククルセイダースは解散を撤回し、加藤さん、北山さんのほかにはしだのりひこさんを新たに加えて3人でメジャーデビューすることになる。

しかし、元々北山さんは父親から歌手活動のため休学していた大学医学部へいつか復学する事を条件とされていた、ということだそうで。そしてザ・フォーククルセイダースは僅か1年間で解散することになる。 

その後北山修さんは医者への道を再度目指すことになる。はしださんは、シューベルツ、そしてクライマックスと新たにバンドを作り活動する。

加藤和彦さんはその後あのサディスティックミカバンドを結成し世界ツアーに出ることになる。(以上朝日新聞 「うたの旅人」の記事を参考にしました)

 

 

最近公式にリリースされたシングル盤

「イムジン河/悲しくてやりきれない」

 

2010年5月2日NHKBS2「きたやまおさむさよならコンサート」を見る

あの素晴らしい愛をもう一度」「戦争を知らない子供たち」など名曲の作詞で知られる、元ザ・フォーク・クルセダーズのきたやまおさむさん。2010年3月、教授を務めてきた九州大学を退官するにあたって記念コンサートを開催した。きたやまさんがテレビに出演したのは、実に40年ぶり。THE ALFEEの坂崎幸之助、杉田二郎、南こうせつの豪華メンバーが参加して、きたやまさんのこれまでの足跡を数々の名曲でつづる。

(以上NHK公式ホームページより)

 「きたやまおさむさよならコンサート」

「花のかおりに」、

「花嫁」、

「さらば恋人」、

「風」、

「戦争を知らない子供たち」、

「祈り ~PRAYER~」、

「愛し伊都の国」、

「悲しみは言葉にならない」、

「感謝」、

「七色の光の中で」、

「イムジン河 -春」、

「悲しくてやりきれない」、

 

北山修, 坂崎幸之助,杉田二郎

南こうせつ(アンコール)

 

精神科医の北山修さん。九大の教授とは知らなかった。 

実はたまたまザ・フォーク・クルセイダース関連で朝日新聞土曜版「うたの旅人」の

2月20日の記事「イムジン河」を読んでいました。 

「イムジン河」はザ・フォーク・クルセイダースがヒットした「帰ってきたヨッパライ」に続くシングルとして1968年に発売されたが、作者不詳の民謡と思われたこの曲は1957年に北朝鮮で作られた原曲があることが分かりレコード会社の政治的判断で急きょ発売を中止された。 

ところがその直後に別のグループでこの原曲「リムジン河」の日本語訳が発売されるのだが、この流れに納得のいかなかった「イムジン河」の作詞者の松山猛さんは「イムジン河」を知人のアマチュアグループと録音し自主発売をする。

その後20世紀中にはこの曲をラジオやテレビで放送されることはなかったと言われています。

時代は流れ・・2002年についに「イムジン河」は68年のそのままの音源でCDシングルで発売されます。B面は当時この曲の発売中止に触発されて、「イムジン河」のコード進行を逆にして加藤和彦さんが作ったといわれる「悲しくてやりきれない」が収録されました。 

「イムジン河」2番3番の歌詞は松山猛さんが戦争によって、郷土を引き裂かれ愛する人と引きはがされた人々に悲嘆を描いたもの、そのことでの平和の祈りを描いたのと思われるのですがこのような事情により一時的に公に聞かれることが少なくなった。

松山さんは「この曲が歌われなくなる日をひたすら待ち望んで生きてきたのに」と言っています

(以上「イムジン河」関連記事は朝日新聞「うたの旅人」の記事を参考にしました)

 

 

LP「あの頃、マリーローランサン」(1983年リリース)を聞く

この力の抜け具合、なんともいえない、いい感じ。
無論このアルバム全体を包む雰囲気なのだが、早くも冒頭曲でこの雰囲気に引きずり込まれる。
こうやって聞くと加藤さんは必ずしも歌はうまくはないのだが。この微妙ななんとも優しい味。
おそらく好き嫌いはあるだろうが、今の環境で聞くと何か納得する。
ミュージシャンはかつてのミカバンドメンバーが多く名を占める。
作詞はずべて安井かずみさん。
加藤さんにとってはとてもいい時代だったかもしれない。

ギター;高中正義、キーボード;矢野顕子、坂本龍一、シンセサイザー;清水信之
ドラムス;高橋幸宏、村上(ポンタ)秀一、ベース;ウィリーウィークス、
パーカッション;浜口茂外也、他

1. あの頃,マリーローランサン

2. 女優志願

3. ニューヨーク・コンフィデンシャル

トロンボーン;向井滋春

4. 愛したのが百年目

5. タクシーと指輪とレストラン

6. テレビの海をクルージング

7. 猫を抱いてるマドモアゼル

8. 恋はポラロイド

9. 優しい夜の過し方

10. ラスト・ディスコ

 

加藤和彦「パパ・ヘミングウェイ」(1979年リリース)

(作詞:安井かずみ 作曲;加藤和彦)

1. スモール・キャフェ

2. メモリーズ

3. アドリアーナ

4. サン・サルヴァドール

5. ジョージタウン

6. レイジー・ガール

7. アラウンド・ザ・ワールド

8. アンティルの日 (インストルメンタル)

9. メモリーズ(リプライズ)

 

加藤和彦;ギター、ヴォーカル(コーラス)

小原礼;ベース

大村憲司;ギター

高橋ユキヒロ;ドラムス

坂本龍一;キーボード

マイク・ルイス;アルトサックス

マーク・コルビー・アルトサックス

セシルドルセット;スティールドラム

吉川忠英;マンドリン

 

ワールドミュージックっぽいですね。リズム感はラテンっぽいけど。独特な加藤さんの世界。
アレンジの濃さもあるけど、「マリーローランサン」の脱力感(浮遊感)は感じにくく人によってはこちらを取るということもあるだろう。私はあら、という感じなのですが、
でも完成度は高いですね。
逆にいえば、加藤さんらしくない面もあるが、
いろいろな面を出し、これも好きということなんでしょう

 

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