個人的な日本のフォーク大全集

岡林信康

まあしかしこの方ほど音楽志向が変化したフォークシンガーはいないなー。

それだけ自分に忠実と言うか思ったままに歌を作っているといううことなんでしょうか。

1970年代は過激なプロテストソングを歌い、しばらくすると田舎に引きこもりカントリーフォークに移行、

そして、かつてのひばりさんとの親交、演歌的な歌作り、そして最近は、韓国のサムルノリ、

日本の村囃しを基本とした音楽作り。

一時期はフォークのカリスマとして圧倒的な人気がプレッシャーになったのか、

あまりにも政治(70年代の学生運動)と結び付けられたことへの反発なのか。

これからはまたどこへ行くのか岡林さん・・・。

36年前の「狂い咲きコンサート」のアルバム
(1971年)

 

 

 

岡林信康

この記事は岡林さん関係の私のブログの記事をセルフコピペしたものです。

岡林信康、36年ぶりの野音

2007年10月の日刊スポーツの記事↓http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071021-272580.html

岡林信康が、あの狂い咲きコンサートから36年ぶり日比谷野外音楽堂でライブをしたようで、NHKBS2で11/30に放送されています。

30年以上前のボブディランの影響を受けた熱いプロテストソング。そして田舎に引き込んでからは、ポップ色の強い力の抜けたカントリーっぽいフォーク。そして演歌への傾斜。
最近では韓国のサムルノリのサウンドに乗せた歌。そしてこのライブではむしろ日本民謡の村囃子に乗せた歌。リズミックなサウンドへの傾斜。でも日本そのものとは又違うような?変わっていく岡林。最近のワールドミュージックへの傾倒は細野晴臣氏を思い出す。

まあ36年前の、政治の季節、学生運動華やかなりしころの熱い時代の真っ只中にいた岡林。歌の内容でいやでも応でもあの時代の寵児とならざるを得なかった岡林信康。

そしてそれに嫌気が差し田舎に引きこもる。

必然的に過去とは違う道へと変貌していくという・・。ここらは複雑であります。

こちらのついていけるのは、わずかにカントリーフォークの匂いを残したアルバム「金色のライオン」が岡林らしさを残した最後のアルバムなのか、何ともいえない感じで放送を聴いてしまう。

↓こちらはBeat21のサイト、2000年の記事です。
http://www.beats21.com/ar/A00121201.html


わたしを断罪せよ(1969年)

 

俺らいちぬけた(1971年)

 

 

 

 

 

金色のライオン(1973年)

もうひとつはてなブログの記事のセルフコピペ

芋たこなんきん

ちょっと前になりますけど、NHK朝ドラ芋たこなんきん」に大塚まさじさんが出演されていました。

健次郎さんの長女、由利子さんが学生時代にはまるフォークソング集会なのですが、その集会場所の教会の牧師役です。台詞は一言だけだったかな?

このこと・・まさじさんが公式ブログで触れています。(2007年1月19日の記事・・現在はリンク切れのようです。ご容赦ください)

コメントにありますけど、私は気がつかなかったのですが、由利子さんの部屋にまさじさんの若いころの写真が貼ってあったらしい。由利子さんが広げているのが、岡林信康のLP「わたしを断罪せよ」だったと思います、これは気がつきました。

この集会、かつて関西フォークの人たちが主催していた「フォークスクール」をモデルにしたらしいのですが、お聖さんのお子さん(正確にはカモカのおっちゃんのお子さん)が(同世代のようですね)フォークにはまっていたとは、どこまでリアルなのかは知りませんが面白いです・・。

ちょっとこれは大塚まさじさん関連ともいえますが

この岡林信康のアルバム、「わたしを断罪せよ」(ファーストアルバム)

収録曲は

1.今日をこえて
2.ランブリング・ボーイ
3.モズが枯木で
4.お父帰れや
5.山谷ブルース
6.カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド
7.手紙
8.戦争の親玉
9.それで自由になったのかい
10.友よ

これはおそらくファーストアルバムでは(69年発売)

この後「見る前に飛べ」(70年)

それまでのラディカルな歌jからの疑問、逡巡を示すような、

「俺らいちぬけた」

そして隠遁騒動の後の新境地といいますか

金色のライオン」と続くわけです。

1. あの娘と遠くまで  

2. 君の胸で  

3. まるで男のように  

4. ホビット  

5. ユダヤの英雄盗賊バラバ  

6. 黒いカモシカ  

7. 見捨てられたサラブレッド  

8. どうして二人はこうなるの  

9. 金色のライオン  

10. 26ばんめの秋

その後の韓国のサムルノリや日本の村囃子のサウンドの傾斜・・このあたりはどうも好みじゃないけど、悩んでいるんでしょうか岡林さんは?

 

最新アルバム「レクイエム」

 

私どものブログよりコピペ

TBS「情熱大陸」岡林信康を見る

TBSドキュメンタリー「情熱大陸」が岡林信康を取り上げる。
TV地上波で岡林を見るのは久々のこと。

岡林信康。ご存じフォークの神様。こういう情報番組には出ないんだけど、どうなんでしょうか。

2009年春の福岡でのコンサート。やはり最近の村囃子サウンド。

2009年4月には、なんとタワーレコードでのインストアライブ。こういうこともするのだ。

2009年廃盤となっていたアルバムがすべてCDで復刻される。若い世代に浸透し始めているという。自分でも優しくなったのが不思議というう岡林さん。

4月、文化放送(AMラジオ)に出演。MCは大竹まこと、阿川佐和子さん。 

岡林さん、1946年滋賀県の牧師の家に生まれる。

60年代終わりごろから歌い始める。そして「友よ」「山谷ブルース」など。プロテストソングが時代の流れの中でヒットし、プロテストなフォークのカリスマに祭り上げられてしまう。そして岡林さんはそれに嫌気がさし。公の場所から姿を消す・・・。

2009年6月九段会館コンサート。漫画家、浦沢直樹がポスターデザイン。観客にはかまやつひろし、由紀さおり、宇崎竜堂の姿も。久しく歌わなかった「山谷ブルース」を歌う。そして「自由への長い旅」も

岡林さん、自由って凧と同じだという。束縛なく飛んでいるようでいてひもでつながれている。若いころはひもを切ろうとしたのだという。

コンサート終盤はやはり「村囃」サウンド。

20009年8月泉谷しげるとの野外コンサート。泉谷さんは岡林さんを聴いてギターを持ったという。

泉谷さんは岡林さんのつらい時代の記憶があるという。70年ごろの失踪、その最中は匿名で農村生活を送る。その後の美空ひばりとの出会い・・・。

10月東京都内レコーディングスタジオ。最新アルバムは美空ひばりのカバー。「レクイエム」。
お互いに譜面が読めないことで美空ひばりとの絆が生まれたという。岡林さん、このころひばりさんから歌詞を贈られるのだが、そのときには歌詞の意味がわからなかったという。

そして最近この詩の曲をつけた。「レクイエム~麦畑のひばり」

スタジオにてひばりの息子、加藤和也氏とモニターを聴く岡林さん。ひばりさんとはよく飲み歩いたらしい。

まあ同世代なので、美空ひばりに影響を受けるのは不思議ではないのですが、ここらは微妙なんですが。あえてフォークを離れたい気持ちもあったのだろうか。

アサヒコムに岡林さんのインタビューが掲載されています。

←岡林さんの最新アルバム。美空ひばりのカバー。

 

 

エンヤトットの代表的アルバム

「御歌囃子参上」

中日新聞4月30日「あの人に迫る~岡林信康」

例によって最近の岡林さん、ひばりさんの話題から、ここではエンヤトットに移行した理由から、

英米に行って向こうの人らに
お前らにこんなロックはないだろう」と言ってぎゃふんと言わせたかった。日本のリズムが盆踊りやお祭りの掛け声お囃子にあると思って、そこからリズムパターン作ってやっていったわけやな。とのことなのですが。

エンヤトットは評価されていないけど。おれは達成感がある。
もうエンヤトットの評価は求めない、評価を諦めたらすごく楽になった。
・・・達成感や喜びのために生きてているんでしょ。
評価を求めているなら、評価を得るための手段でしかなくなるわけや、歌が。
じゃ、歌でなくてもいいのかとなるわけや。


なるほどやっぱり評判は気にされるんですな、というか
そうなんでしょう、あの学園紛争や安保闘争当時の雰囲気の中で、
メッセージソングを歌い、結果的にはカリスマとなってしまい。
その位置に耐えられず、というか疑問を持ち、歌わなくなり田舎へ隠棲。
そのなかで、演歌を作り、美空ひばりさんと知り合いになる。

ひばりさんの後押しで、コンサート活動を再開したという。 
ぶれるというか、面白い。まあ他人ごとではないような。
新聞社のインタビューアーが、たまたまボブ・ディランの来日前で
このことについて尋ねたところ、今では全く聞いていないという。
なんだかな。過去は振り返らない。というわけか。
とりあえず、エンヤトットが今の時点での帰結なのか。 

まあ個人的には村囃が日本音楽のすべてを代表するわけではないけど、
彼の歌には乗りやすいということなんだろう。
そしてこれは演歌ではないし。
結局フォークのバックのカントリーロックのサウンドが、
すり変わったもののような気がするのだけど。 

どうなのか? 

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