没後10年となった渥美清さんの生涯をたどる話し。
若い頃(戦後すぐ)テキヤの真似事をしていたそうです。
結局劇団の座長の進めで足を洗い、浅草フランス座のコメディアンになったそうな。
その後の2つの連続テレビドラマのシリーズ。その続編としての映画「男はつらいよ」につながるわけですが・・。
渥美さんが「男はつらいよ」シリーズが大当たりとなり、松竹のドル箱となっていく中で、映画は40作以上続き、渥美さんには寅さんのイメジーが定着してしまうこととなります。
そして後年その呪縛に渥美さんは苦しむことになるのですが。
渥美さん自身としては役名で呼ばれるのは光栄と言うことを口にしており、寅さんのイメージが100%嫌と言うわけではなく、でも他の役柄もやってみたかったのでは、と思うのですが。
早坂暁さんがそのあたりの話をされるのですが。渥美さんの新しい役柄でのNHKの2つのドラマ企画も結局頓挫してしまいます。
他に数作の寅さん以外の役の映画やドラマもやられるのですが、余り評判にならずに終わってしまう。
こうして渥美清を「男はつらいよ」以外の映画には出演させないと言う松竹の意向もあり、「男はつらいよ」に専念することに結果的になっていくのです。
最終作の第48作「寅次郎紅の花」の撮影中のドキュメントをNHKで以前見たことがありますが、今回の番組中にもそのシーンが最後に出てきます。
渥美さんの体調は悪く。(すでに肺がんを告知されています)、
ロケ地でサインをねだるおじさんに目もくれず迎えの車に乗ってしまいます。
色紙を持ってがっかりするおじさん。このシーンがほろ苦く印象的です。
この時点ではファンの人たちは渥美さんの病気を知りません。
その番組の中での渥美さんへのインタビューの答えが痛切です。
26年寅さんを演じ続けたことについて
寅さんが手を振りすぎていたのかなァ。
愛想がよすぎたのかなァ。
スーパーマンを撮影の時に見てた子供たちが、
「飛べ!飛べ!早く飛べ!」 と
言ったというけども、
スーパーマンはやっぱり二本の足で地面に
立っていちゃいけないんだよねえ。
だから、寅さんも黙っていては
いけないんでしょう。
二十四時間手を振っていなきゃ・・・。
ご苦労さんなこったね。
飛べ 飛べ と言われても
スーパーマン飛べないもんね。
針金で釣ってんだもんね。
やっぱり渥美さん。すべてをわかってますね・・・。いまさらながら早すぎる死は残念です・・・。
ほんとに・・・。
上の画像は柴又帝釈天。ウイキペディアからお借りしました。
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